夏、うつつ

 一夜のために組み立てられた舞台の上は眩いばかりの光に溢れていた。
 演者と太鼓を残して四方は闇に沈み、期待に満ちてしんと静まり返る。
 沈黙を破ったのは合図の一声。
 ベンガラのバンダナを一斉きりりと巻き、バチを手にして気合と共に叩き出す。
 至近距離で感じる大太鼓の音は暴力だ。空気が震え、場が揺れる。
 それでも、どんと丹田に響くこの感じは紛れもなく快感だ。正己の五臓六腑を震わせて、背中へ、彼方へと突き抜けていく。

「だあー。ダメだ。やっぱ本番前に一杯やったのが効いた。ぐらぐらする。吐きそう」
 歩道のタイルの上に正己がぐたりと果てたように腰を下ろすと、隣で純二が缶コーヒーの封を切り、ぐびりと咽喉を鳴らした。
「かあ〜。浅はかな野郎だねえ。先に飲んでどうすんだよ」
 他の一番街の仲間達も正己をぐるりと囲むようにして立つ。
「ま、いいんじゃね。本番中にぶっ倒れたわけでもねーし」
「だな。祭りだし。ちっとぐれえはハメ外さねえと」
 皆で集まるのも今日が最後。明日からはまた職場と家を往復するだけの何の変哲もない日々が始まる。
「お、虎暴れ隊のやつら始めるぜ」
「おー。ガキども今年は随分派手じゃん」
「衣装全部新調かあ。金かけてんなあ。さすがセンター街」
「ウチも一新すりゃよかったじゃん」
「先立つものがございませーん」
「マジでか。おいおい、何とかしろよ。会計さんよー」
 水を向けられて八百屋の息子が眉を上げる。
「んなもの新調したら向こう五年間二次会が出来なくなるけど、オッケー?」
「えー?」
「やめ、やめ!」
「何でそんなにザイセーヒッパクしてんだよ」
「自分らが年にいくら払ってるか、よーく考えてみろって。なんなら会費上げるか?」
「論外」
「不景気なんだから勘弁しろよー」
 市役所勤めの肇がぼやくと正己が顔を顰めた。
「お前は公務員なんだから関係ないだろ。俺なんか失業中なんだぞ」
「まんじゅう屋継げばいいじゃん」
「今更そんなことできっかよ」
「親父さんと散々揉めたんだもんなあ」
 とりを務めた虎暴れ隊の少年達が興奮を引き摺ったまま舞台を下り、審議の開始を告げるアナウンスが夏の暑さと人の熱気で湯気が出そうな会場にわんわんと響く。
「さてと、移動しますか。どこだっけ? 居酒屋? カラオケ屋?」
「結果聞かねえの?」
「入賞でもしたら報せにくるんじゃね?」
「だな。おい。行くぞ、正己」
「おーう」
 純二に声を掛けられ、祭りの電飾で霞む夜空を見上げていた正己がバンダナを外して立ち上がる。
 仲間に囲まれたその足取りは、まだ少しふらついていた。

【了】


Fumi Ugui 2011.06.18

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