帰宅した丹原(たんばら)がメール確認のためパソコンの電源を入れると、そこには着信があった。
差出人の名を見て小首をかしげる。発信元は辻占(つじうら)だった。
丹原と辻占はお笑い芸人だ。
コンビ名は「つんた」。学生時代にコンビを組んでデビューして以来、のっぽで強面の丹原と小柄でベビーフェイスの辻占との温かみのある芸風が受けて人気を博し、現在もテレビのレギュラー番組を何本か持たせてもらっている。
同じ劇団に入ったことが縁でコンビを組み、若さに物を言わせて駆け抜けてきた芸能生活も今年で目出度く十五周年。二人とも見掛けはまだまだ若作りだが、そろそろ傍からはベテランと呼ばれる域に突入し、最近ではそれぞれ単独でのオファーも多くなってきている。何事にも好奇心旺盛な丹原は情報・クイズ系のバラエティ番組に出演する傍ら所属劇団「月刊ひつじが丘」の運営に力を入れ、無類の映画好きで役者気質の辻占はこの数年で何本か映画に主演していた。
そんな二人は普段電話や携帯で互いに連絡を取り合うようなことは滅多にない。
携帯が生活の一部になっている若い世代とは違い、相方同士プライベートで頻繁に連絡を取り合う習慣がないのだ。話したいことがあれば顔を合わせたときに直接話せばよい。楽屋で、或いは番組のフリートークの最中に二人で近況を語り合うのが最近では半ば習慣になっていた。
そんな辻占からのメールだ。しかも一通ではなく何通も来ている。
いくら丹原がここ1週間ばかり旅番組のロケで日本を離れていたとはいえ、珍しいことだった。
メールは間隔を置いて何通か、日付の新しいものは携帯からも来ているようだった。いたずらにしては手が込んでいる。辻占がプライベートでそんなマメなことをするとは思えなかった。
それじゃ、新手のドッキリかも。
そんなことを考えながら、丹原は日付の古いものから順に目を通しはじめた。一番古い日付は2日前のものだった。
【件名:丹原隆太様へ】20XX/07/03 15:22
拝啓、丹原隆太様。
突然のメールで失礼します。
海外はどうですか。こちらは撮影も快調に進んでいます。
(何だ、この定型文例集から抜き出したような文章は……。)
丹原は苦笑する。
なんてな。
やっぱ、なんかてれくさいな。話し言葉で書くわ。
「是非そうしてくれ」
モニターの文字を目で追いながら丹原が呟く。
この間、番組でノートパソコン当たっただろ。それで今書いてます。
コンパクトでなかなか使い勝手がいいよ。気に入ってる。
アドレスは伊富から聞いた。ホント何でも知ってるよな。
オレはもう伊富がいなきゃなーんも出来ねーよ。いや、マジで。
実はロケが終って、ある地元の人の家に招待されたんだ。
それがもう、すっげーの!
ものすごく古い洋館でさ、ホラー映画とかに出てきそうなんだよ。
それで聞いてみたらさ、実際に映画に使われたことあるんだって。
びっくりだよ。
なるほど、それでうれしくてメールしてきたんだ。あまりにマニアックな話題で他に相手になってくれる者もないのだろう。一人で人知れずはしゃいでる辻占の姿が目に浮かんだ。丹原の顔にも自然と笑みが漏れる。
これから歓迎パーティー開いてくれるって。
じゃあな。海外ロケ頑張ってください。
辻占
「へえ。古い洋館かあ。何の映画に使われたんだろ」
何にしても退屈しのぎが出来て辻占にとっては願ったりだろう。
丹原は次のメールを開く。
【件名:丹原隆太様へ 辻占だよ】20XX/07/03 23:56
そう言えば今気が付いたんだけどさ。お前がこのメール読む頃には、
ロケも終って、オレ達また顔を合わせてるんだよな。
やっぱり相方同士メールはあんまり意味ないか。
実はパーティーの後この洋館に泊まらせてもらえることになったんだ。
今、すっごく広い部屋に一人。いかにもって感じでちょっと恐い。
なんかさあ、夜中に誰かに見られてるような感じでさあ。
雰囲気に飲まれちゃってるのかな、オレ。
でも、家主さんは老紳士って感じのとってもいい人だし。
ロケも明日で終り。朝は早いけど最後の一踏ん張り、頑張るぞ。
「勇気あるなあ、あいつ……」
丹原は思わずつぶやく。自分は絶対ダメだ。そんな所に一人でなんて、眠れやしない。
「結局、一睡もできなかったら笑えるけどな」
三通目のメールを開く。
【件名:辻占】20XX/07/04 06:42
おはよう、丹原。
これで、三度目になるけど、ごめんよ。
でも、一つ気になることがあるんだ。自分の気を落ち着かせるためにも書いておくよ。
今朝起きたら寝たときとカーテンの位置が違ってるんだ。
これどう思う?
泥棒でも入ったのかな?
でも、内鍵だし。
外から入れるとしたら可能性は一つだけだと思うけど、そんなこと考えたくないし。
別になくなったものもないみたいだし。ま、いいか。
今日はもう東京に帰るんだから。
携帯の着メロが鳴っている。
「電話よ」
妻の呼ぶ声がした。いつものくせでジャンパーのポケットに手をやり、丹原は携帯を忘れてアメリカに渡ったことを思い出した。慌てて自室から居間に戻る。
「携帯忘れてったんだ。どこだっけ?」
「テーブルの上にあるんじゃない? 今日も何回か鳴ってたわよ。取りあえず充電だけはしといたけど」
掛けてきたのは辻占のマネージャー伊富だった。
「丹原さん? ああ、よかった。何度掛けても出ないから……」
「ごめん、ごめん。携帯家に忘れちゃってさ。それで、なに? こんな時間に」
時刻は9時を回っていた。
「ああ、そうなんです。辻占さんそっちに行ってませんか?」
「えっ、来てないけど? どしたの」
「連絡取れないんですよ」
「え?」
「明日、収録があるでしょ。8時入りの」
「うん」
「確認しとこうと思って携帯に掛けたんですけど、つながらなくて」
明日は揃って特番の収録を行うことになっていた。伊富の話によれば、ロケは昨日のうちに無事終了。辻占の今日の予定は午前中オフ、午後は打ち合わせ。だが、その打ち合わせにも現れなかったらしい。事務所に心配した番組スタッフから連絡があったのだ。
「そしたら、1回だけ変なメールが……」
文面は一言、たすけて、と。
「おかしいでしょ? 辻占さんこの手のいたずらする人じゃないし……」
そう。伊富の言う通り。
丹原は最初に辻占からのメールを見たときの違和感を思い出す。
普段の辻占は穏やかで優しいけれどしゃれっけのない、極普通の真面目で大人しい男なのだ。
「ちょっと待て」
丹原は慌てて自室のパソコンの前に戻った。残りのメールに急いで目を通す。
【件名:辻占】20XX/07/04 15:42
みんなと一緒にまた打ち上げに招待されたんだけど……。
なんかおかしいよ。
オレの思い違いだといいけどさ、
パソコンのデスクトップの配置がオレの記憶と違ってるような気がするんだよね。
家主さんもやけにオレを引き留めてるような気がするし……。
【件名:】20XX/07/05 17:29
部屋から出られなくなった!
パソコンもいつの間にかないし。
それにあの家主絶対変だよ! おかしいよ!
「悪い、伊富。一旦切るぞ!」
切迫したものを感じて丹原は携帯の留守電を確認する。さっき妻が留守中に鳴っていたと言わなかったか?
着信【20XX/07/05 17:53】
入っていた伝言は――。
「ちょっと、出掛けてくる!」
あっけにとられる妻を残して丹原は外に飛び出した。伊富に連絡を入れる。
「伊富、ロケ地だ! 辻占はまだそこの古い洋館にいる!」