一通のメールから

番外編 楽屋裏


 

 「よう、辻占。調子どう?」
 丹原が控え室の扉を開けると、辻占が座椅子に背をもたれさせ両足を投げ出して座っているのが見えた。
 「ああ……。うん、なんとかいけそう。ここに来る間ずっと寝てたし……」
 辻占はあの直後三十八度近い熱を出した。一時は特番の出演を取りやめるという話も出たのだったが、これもプロ根性なのか地元警察の事情聴取を済ませ、都内に着く頃には発熱もおさまり、確かに今は地下室で発見したときのことを思えば顔色もずいぶんと良くなってきているようだ。
 伊富が辻占の足の裏に薬を塗り直していた。裸足でガラスの破片を踏んだため、両足ともにずいぶんと切れている。痛そうだ。丹原はそっと顔を背けた。見てしまったことをちょっと後悔する。
 「その足で立ちっぱなしは辛いんじゃないの? 椅子、頼もうか?」
 「緊張してれば大丈夫だと思うけど。もう切ってから何時間もこの状態でいたんだし」
 今更、と当の本人は意外とけろりとしている。辻占のこういうところは丹原には到底まねできないところだ。
 「それよりさ、この顔だよ。ひっでえなあ、これっ」
 辻占は備え付けの姿見を覗き込んでぼやいた。
 確かに酷い。二日酔いに加えて下痢でもしたらこんな感じになるだろうか。鏡に映った辻占はやつれた感じが否めない。
 「放送コード、ギリの顔だよ」
 辻占の呟きに丹原も思わず笑ってしまう。
 「なんか、描いて出た方がいいんじゃないの」
 「ヒゲとかシワとか?」
 「いや、もっと。タヌキとかパンダとか、いっそのこと着ぐるみ着てさあ。その方が映りがいいんじゃないの?」
 鏡を見ながら辻占も笑う。
 「確かにな。この顔はヒっドイわ」
 「あ、そうだ。お前に聞きたいことあったんだ」
 丹原は思い出したように、鏡から辻占本人に目を転じた。
 「なに?」
 「お前さ、あの時携帯使えたのなら何で一番先に警察に掛けなかったんだよ」
 「あ……!」
 「あって、お前……」
 「……全っ然、思い付かなかった」
 呆然とした態の辻占をしばし見つめ、丹原は心底呆れたように首を振った。
 「もう、おま……、ホントにお前は……」
 その相方を慌てて遮り、
 「待て待て! だって!」
 ここは自分の名誉のためとばかりに辻占は弁明した。
 「だって、仕事すっぽかしたって思ったらさ、一番先に事務所かスタッフに連絡入れなきゃって! なっ、それって当然だろ?!」
 丹原がやれやれと溜息を吐く。
 「お前はさ、ホント天然だよ」
 「え〜?」
 辻占は不服そうに眉間に皺を寄せた。伊富を見る。
 「オレ間違ってないよな、伊富? 人として」
 水を向けられた伊富。包帯を巻き終え、俯いて救急箱をしまうその肩が何故か小刻みに震えている。
 「あっ、コんノヤロー。なんでそこで笑うんだよ〜」
 「あのな、」
 半笑いで伊富を睨付けそれでもまだ不服そうな辻占に丹原が釘を刺した。
 「命と仕事天秤に掛けないで下さい」
 「なんだよ。結局、オレなのかよ」
 既に説教モードの丹原を見上げて、諦めたように辻占が笑った。
 「大体お前はさ、常日ごろから……」
 だんだんと熱のこもる丹原の声。それを背中で聞きながら、救急箱を手にして伊富は音もなく廊下に滑り出た。そっと控え室の扉を閉める。と、向いの丹原の控え室から出てきた菱川と目が合った。
 「丹原さん知らない?」
 「今、辻占さんとこ」
 「なんだ。それじゃ当分出てこないかな。辻占さんが眠っている間中、ずっと何か言いたそうだったから」
 「うん。ほっとけばいいよ」
 伊富と菱川は笑って左右に別れる。
 辻占の控え室から人の出てくる気配はまだない。

 【完】

2008.01.24 改訂版


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