名医の子供達

第5話 会員番号00002

「透先輩〜!」
 大きなブランドのショルダーバッグを抱えた茶パツの女性が劇団オオムラサキの事務所に顔を出したのは、公演準備で忙しい劇団員達がやっと銘々に昼食を済ませた昼下がりのことだった。
「何だ。誰かと思えば副島じゃん」
 一瞬女の声に期待して一番奥の席から大部屋の入り口を見やった劇団代表は、がっかりしたように緩く頭を振った。
「あっ。そーいう言い方はないでしょー? 谷口先輩」
 副島(そえじま)まりは透と谷口の大学時代のサークル仲間で、現在は「桐生公認ファンクラブ」の会長を務めている。本業は文芸誌の編集者。三十過ぎてバツイチになり格好は随分落ち着いてきたが、お頭(つむ)の中身を疑われそうな間延びしたしゃべり方は学生時代そのままだ。
「久しぶりだね、副島さん。今日は会報の取材かな」
 透が声を掛けると副島は綺麗に整えられた眉を心配そうに顰めた。
「ひっさしぶりーじゃありませんよ、透先輩。大丈夫ですかー? 私ワイドショー見てびっくりしちゃって。ゲイ疑惑や熱愛報道なんて見慣れてるけど、今度のちょっと毛色が違うしー」
「私の方には影響ないが、水樹が少しね」
 結局水樹は、まるで勉強することだけが自身の唯一の存在意義だとでも言うように、倒れた翌日一日休んだだけで通常通り大学に通っていた。辛うじて食事は取り、睡眠薬の恩恵で眠ってはいるようだが、相変わらず顔色は優れず、口数も少ない。その影響で本来健全な恋人同士であるはずの夏乃や櫂人までもが、世間はクリスマスシーズン真っ盛りだというのに元気のない状態を引き摺っている。
「あー……。やっぱ、水樹君落ち込んでるんだ。ホントひっどいこと書かれてるもんね」
 副島が眉根を寄せてデスクに山と積まれた週刊誌の類いに目をやる。
 それらはすべて「週刊ゲンセキ」の記事に端を発した桐生の養子に関するゴシップが掲載されたものだった。「呪われた運命」だの「偶然か?犯罪か?!」だの、果ては「繰り返される悲劇の兆候?!囁かれる桐生極秘通院説」まで、どの表紙にも興味本位に書かれた過激な煽り文句が踊っている。
「まったくな。どいつもこいつも、素人相手に寄ってたかってどんどんエスカレートしやがる」
 『現代の吸血鬼伝説!』というリードを、丸めた新聞でぴしゃりと叩くと谷口は雑誌を睨み付けた。
「何だよ、この『親の生き血を吸って生きる寄生植物』ってのは。オカルトじゃあるまいし。流言飛語を通り越して都市伝説の類いだぜ。まあ、こんなもん載せる方も載せる方だが」
 副島が雑誌をぱらぱらと捲って顔を顰める。
「載せてないの『週刊海潮』ぐらいだよね。さっすが老舗雑誌。一味違うって感じー?」
「ったく、卯木とやらもやってくれる。よくもこれだけ吹いて回ったもんだ。ファンとか言ってるくせにやり方があざといんだよ」
 悪態を吐く谷口を副島が見返してきた。
「え、卯木? 卯木って、もしかしてセンスくんのことですかー?」
「何だ、お前。卯木センス知ってんのか?」
 透と谷口がいささか唖然と副島に目をやる。
「知ってるも何もー。あの子って、『早渡透ファンクラブ』の会員番号二番なんですけどー」
「おいおい。ホントか」
 副島は鞄の中からUSBメモリを引っ張り出して、勝手に谷口のパソコンに接続した。ファイルを開くと、それは会員数三万を超える「桐生公認ファンクラブ」の名簿で、一番上に副島の名があり、そのすぐ下の欄に卯木センスと打ち込んであった。
 ディスプレイを覗き込んでいた谷口が呆れたように呟く。
「やっぱファンだったんだ。にしても、一般で二番って凄くねーか?」
 今では「桐生公認ファンクラブ」と改称された「早渡透ファンクラブ」の会員番号一桁台は、当時透が表立って演劇活動をしていなかったこともあり大抵がサークル仲間か大学の関係者で占められていた。大学関係ではない一般のファンがちらほら顔を出すのは三十番台、四十番台以降だ。
「うーん。凄いっていうかー。どっちかって言うと当然なんですけど」
「当然?」
 副島の答えを聞いて谷口が怪訝そうにする。
「だって、あの子ってあの時にいたんですよ」
「あの時って?」
「ほらほら、あの日。サークルでさわらび学園に行った最終日。ファンクラブ設立の話してましたよねー」
 慰問最終日のその日、透は見事な読み聞かせとパフォーマンスを披露し、子供達を魅了した。それは透の役者としての原点とも言える体験であり、その後の俳優桐生としての在り方を方向付ける象徴的な出来事でもあった。
「その時、ファンクラブつくるなら自分も是非入れてくださいって言ってきた十五、六才ぐらいの男の子がいてー。その子が卯木くん」
 副島は谷口から透に目を移す。
「透先輩覚えてませんかー? 握手会でサインもらった少年が一人いたでしょ。私羨ましくて、すっごくよく覚えてるんですけどー」
 その時の不満な気持ちを思い出しでもしたのか口を尖らせる副島を眺めながら、透は記憶を探る。
 さすがに顔は朧だが、もうかなり大きな中学生ぐらいの少年が熱心にサインを強請ってきたことは記憶していた。他が幼児や小学生ばかりの中でかなり目立った存在だったため印象に残っていたのだ。
「彼がそうだったのか……」
「おいおい。筋金入りかよ。お前も大変なのに見込まれたもんだな」
 やれやれと大きく首を振り透を見上げる谷口の脇で、副島が溜め息を吐いた。
「透先輩に憧れてるみたいですっごく熱心だったから、その時メアド交換して会員番号二番にしてあげたんですけどー。まさか、こんなことするなんてー……。本当なら公認ファンクラブとして処分も検討しなくっちゃ……」
 少し思案するようにしてから透が口を開いた。
「副島君、卯木センスのメールアドレスを教えてくれないか」
「え、いいですけどー……」
 戸惑う副島を余所に携帯を取り出す透を見て谷口が口を挟む。
「おい、どうすんだよ。まさか会うつもりか?」
 副島からセンスのアドレスが届いたことを確認すると、透は携帯を仕舞った。
「最終的にどう落ち着くにせよ、話し合いは必要だからな。本当に記事の情報源が彼なのかも確かめておく必要がある」
「大丈夫かよ」
 谷口が露骨に顔を顰めると透は笑った。
「心配しなくても二人切りでは会わないさ。場所は考える。ちょうどイブがオフだからな。午前中に園長先生に話を伺い、出来ればその後で彼にも会う。場合によっては検察にも足を運ぶつもりだ」
「で、その足でまた夕方から学園にとんぼ返りか? 忙しいこったな」
「次のオフはもう年末年始に入る。その前に打てる手はすべて打っておきたいからな」
「まったく、お前のその勤勉さには頭が下がるわ。学生時分から変わってねーよな。ま、頭に来てんのはわかるが、ほどほどにしとけよ」
「えー? 透先輩怒ってるんですかー?」
 一人蚊帳の外に置かれていた副島が透の顔を見上げた。見返してくる透には何一つ普段と変わったところは見受けられない。双眸はどこまでも理性的で感情的な部分はどこにもないし、表情は相変わらず余裕の笑みを湛えて穏やかだ。
「ああ、顔なんかいくら見ても無駄無駄」
 いつまでも飽きずに透の顔を眺めている副島に向かって谷口がひらひらと手を振る。
「顔より行動に出るんだよ、コイツの場合。どうせもう告訴の準備は万端整ってるんだろ?」
 透は黙って薄く笑った。
 谷口の言う通りだ。既に告訴状も書き上げてあるし、証拠となる提出物も揃えてある。話し合いでのセンスの返答如何によっては直ちに提出するつもりだった。
「あー、先生。顔、顔。また悪徳弁護士になってますよ」
 横合いから掛けられた声に透は苦笑した。視線を転じ、机に頬杖を突いてこちらを眺めている小川に声を掛ける。
「君にはまた面倒を掛けることになるかもしれないが、よろしく頼むよ」
「私、裁判に関わるのって初めてなんですけど、どのくらい仕事に影響ありますかね」
 分厚いスケジュール帳を開いて首を捻る小川の質問には谷口が答えた。
「どうだろうなあ。ま、そうややこしい争点がある訳じゃねーし、そんなに出向いていくことはないんじゃねえか。ただ、勝っても、向こうがごねたら控訴あるかもしんねーけどな」
「控訴?」
 谷口の言葉尻を捕らえ、透が僅かに眉を動かす。
「馬鹿なことを言うな。結審は一度だ。裁判は一度で終わらせる」
「おっと、言い切りやがったぜ。実際訴追するのは検察だっていうのになあ。あー、怖い、怖い。な、副島。怒ってるだろ?」
 谷口が楽しそうに揶揄すると、副島は学生時代と変わらぬ憧れの眼差しを透に向けた。
「っていうか、カッコイイー! 惚れ直します、透先輩ー!」
「君らは変わらないな」
 二人を眺めながら溜め息混じりに笑って肩を竦めると、透はちらりと腕時計に目をやった。
「そろそろ時間だ。行こうか、小川君」
「『外道』の舞台挨拶ですね。午後四時十五分からエスニックシネマ新宿、同五十五分からエスニックシネマ渋谷」
 ちらりとページを一瞥してからスケジュール帳を鞄に仕舞って小川が立ち上がる。
「ちょいとハードですが、とっとと参りましょう」

 ◆

 クリスマス・イブのその日は清々しく晴れ渡っていた。
 未明まで降り続いてた雪も止み、住宅街のこの辺りでは子供達が作った雪だるまがあちこちで道祖神のように鎮座している。冬の午前の日差しはまだ温く、地面には雪が積もったままだ。
 透が車をさわらび学園の敷地に乗り入れると、門の側で子供達が大きな雪だるまを作っているところだった。その周りに数人の男達が張り付いて、何やらしきりと話し掛けている。風体から見て、どうやらどこかの芸能記者のようだ。
 ひとつ嘆息してから透は運転席のウインドウを下げる。
「子供達に何を聞こうというのかな?」
 聞き覚えのある低い声に男達の背中がぎくりと固まる。
「何を聞くにしろ、当時彼らはまだ生まれてもいませんよ」
 透に気づいた子供達が歓声を上げて車へ駆け寄り、男達はきまり悪そうに愛想笑いを浮かべて後ろに下がった。それもまだ敷地から出ていく気配ははない。
 子供達にもっと別な場所で雪だるまを作って遊ぶように促すと透は車から降りた。取材陣に向かって申し分のない完璧な笑みを浮かべる。
「さあ、話なら私が伺いましょう。ことによると、私の息子の過去など探るより、もっとセンセーショナルな話題を提供できるかもしれませんよ」

「庭先を騒がせてしまって申し訳ありません」
 園長室を訪れると透は丁寧に頭を下げた。
 三橋園長は首を優しく横に振る。
「いいえ。早渡先生が気になさることはありません」
 園長の事務机の隅には、例のゴシップ記事の載った週刊誌が二冊ほど重ねてあった。
「たとえ今何処でどんな暮らしをしていても、水樹君はこの学園で育った子ですから……。何かあればこちらに取材が来ることもあるでしょう」
 透は慈愛を湛えた園長の目を真っ直ぐに見詰める。
「彼らが殊更に騒ぐのは水樹が私の養子だからです。他の誰かの養子なら彼らもここまで騒ぎ立てはしない。ですから、本日は事態の収拾と解決のために自らこうして園長先生にお話を伺いに参りました」
 園長はひとつ小さく溜め息を漏らすと、事務机から立ち上がって透を目の前の応接セットへと促した。自分もソファへ腰掛けると気遣わし気に透を見上げてくる。
「水樹君はどうしてますか」
「卯木センスに言われたことを随分気にしているようです」
 思わぬ名を耳にして、園長は僅かに目を見開く。
「……卯木君。あの子が何か……?」
 センスは中学卒業と同時に独立して以降学園に顔を見せることはなく、今に至るまで音信不通だった。
「彼は十日ほど前、突然水樹の前に現れて言ったそうです。水樹の母親は、婚約者が水樹を庇って亡くなったのがショックで死んだのだと。実は今回の記事の情報源も彼である可能性があります。園長先生は彼の言動をどう思われますか?」
「そんな……。あの子が……センス君がそんなことを……?」
 透が黙って頷くと、園長は落胆したように目を伏せてふくよかなその面を左右に揺らした。
「水樹は自分が母親に疎まれていたのだと思っています。だから、福岡から遠く離れたこの学園に自分は預けられたのだと」
「そんな。そんなことは決してありません」
 園長の思いの外はっきりとした否定の言葉を聞き、透は表情を和ませる。
「そうですか。それを聞いて安心しました。当時のことを詳しく伺いたいのですが」
「ええ、もちろん。私でお役に立てるなら何なりとお聞きください」

「では、早速ですが」
 透は居住いを正す。
「当時の彼女に何か変わったところはありませんでしたか。些細なことでも構いません。なるべく詳しく思い出して頂きたいのですが」
「変わったところと言っても……。こちらにいらっしゃる親御さんは皆それぞれに込み入った事情をお持ちですから……」
 園長は少しだけ困ったように微笑むと、僅かに考えるようにしてから口を開いた。
「ああ、でも、ひとつだけ言い残して行かれたことがありました。それが少し奇妙なもので」
「奇妙とは?」
「ええ。水樹を頼みますと何度も頭を下げられて。それから、もし良縁があれば養子縁組は厭わないけれども、もしも福岡の自分の両親や羅天という人物が引き取りに来ても絶対に渡さないでほしいと」
「羅天……。お母さんがそうおっしゃったのですか?」
 透は確認するように園長の目を見る。
「はい。確かに。そう言われても身内がもし引き取りにいらした場合、こちらに拒む謂れはありませんからどうかとは思ったのですが。あまり真剣におっしゃるものですから……。一応返事だけはして水樹君をお預りしたんですよ」
「羅天という人物や福岡の祖父母は水樹を引き取りに来ましたか?」
「いいえ。連絡もありませんでした。お母さんの加菜子さん自身も音信不通で、亡くなったことも青葉先生が水樹君を養子にもらう手続きをするまで知らなかったぐらいでしたから……」
「青葉先生はこのことを?」
「いいえ。当時は青葉先生との養子縁組が決まったのなら、この話はもう必要ないと思ったものですからお話しませんでした」
「確か、青葉先生は養子縁組をするとき福岡の祖父母に連絡を取ったのでしたね。そのときに水樹を引き取るとは言われなかったのですか」
「ええ。連絡したときに返事は後日と言われただけで、翌日には結局あっさりと養子縁組については同意を頂けたそうです」
 透は僅かに眉を顰める。
 羅天という人物はともかくとして、少なくとも福岡の祖父母に水樹を引き取る気はなかった。
 では、水樹の母親は両親に関して何をそんなに警戒していたのだろう。
「では、もうひとつだけ伺います。卯木センスは水樹の素性や出生地を知っていた節があります。お心当たりはありますか」
「それは……」
 園長は少し考え込むようにする。
「もしかしたら、水樹君を青葉先生の養子にする時に私達の話を聞いてしまったのかもしれません……。あの時は、親戚がいるのなら一言挨拶をして筋を通したいと先生がおっしゃったので、福岡に水樹君の実家があることも祖父母が健在らしいこともここでお話しましたから」
「そうですか。大変参考になりました」
 透は三橋園長に丁寧に礼を述べると園長室を辞した。

 やはり、水樹の母親は我が子を疎んじていた訳ではなかった。

 早くこの事実を水樹に知らせてやりたかったが、透にはその前にまだしておかねばならないことがあった。
 学園の建物を出て腕時計を確かめる。
 時刻はちょうど頃合いだ。
 透は運転席に乗り込むと、指定した場所に向けて静かに車を発進させた。

 

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Fumi Ugui 2008.08.20
再アップ 2014.05.21

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